デカルト、後期スコラ学、初期原子論 Ariew, "Descartes, Basso, and Toletus"

Descartes Among the Scholastics (History of Science and Medicine Library: Scientific and Learned Cultures and Their Institutions: Vol. 1)

Descartes Among the Scholastics (History of Science and Medicine Library: Scientific and Learned Cultures and Their Institutions: Vol. 1)

  • Roger Ariew, "Descartes, Basso, and Toletus: Three Kinds of Corpuscularians," in his Descartes among the Scholastics (Leiden: Brill, 2011), 157–77.

 デカルトの哲学を後期スコラの自然哲学と、17世紀前半に活動したセバスティアンバッソの原子論と比較する論文を読みました。イエズス会士トレトゥス(1532–96)やヴィッテンベルク大学医学部教授のゼンネルト(1572–1637)のような後期スコラ学者の著作からは、アリストテレス主義の内部である種の粒子論、慣性の法則と似通った原則、真空の理論的容認が支持されていたことが分かります。このうち前者2つはデカルトも認めるところでした。一方、バッソは形相を否定し原子論の立場をとりました。四元素の原子と第五元素であるエーテルの原子(これらは分割不能)の組み合わせから世界は成り立っている。神によって動かされることで、エーテルが四元素の自然的運動(たとえば土は世界の中心へ向かう)を引き起こすとされます。また希薄化と濃密化は四元素の原子間に浸透しているエーテルの増大と減少によって説明されました。真空の存在は、運動の原理であるエーテルの働きを遮断するものとしてバッソは否定します。デカルトバッソと同じく世界は微小な粒子から構成され、神が運動の原理であり、濃密化と希薄化は微細な流体が孔を埋めたり孔から出て行ったりするすることによって生じると考えました。実際デカルトエーテルについてのバッソの議論は認められないものの、希薄化については彼に同意すると述べています。しかし同時にデカルトバッソと多くの点で異なっていました。デカルトの粒子は分割可能ですし相互に転化可能です。またバッソにとって運動とは物質に宿らず神によって与えられるのに対して、デカルトにとって運動は物質の性質であり、神の継続的創造によって保存されているものでした。最後に心身二元論の原理の上に哲学を打ちたてようとするデカルトにとって、バッソが抱いていたような古代の原子論の復興を目指すという試みは無縁でした。だからこそデカルトバッソアリストテレスを破壊することにのみ長けており、その著作から自分が学ぶものは何もないと言ったのです。