動物園は誰のものか 伊東「『社会全体の利益のために』 ロンドン動物園と科学団体の公共性」

集いのかたち―歴史における人間関係

集いのかたち―歴史における人間関係

  • 伊東剛史「『社会全体の利益のために』 ロンドン動物園と科学団体の公共性」森村敏己、山根徹也編『集いのかたち 歴史における人間関係』柏書房、2004年、238–258ページ。

 科学者集団と公共性という問題枠組みについて、動物園という予想外の事例から歴史的分析を加える論文を読みました。ロンドン動物園は1828年にロンドン動物学会によって設立されました。園は行楽地として人気を博します。特に「自然誌の歴史に一時代を画す出来事である」と評されたキリン到着後は、入場者数が年間26万人にものぼりました。動物園の一般客入園制度は、当初入り口で動物学会会員の紹介状を配り、それを持ってきた客の身なりがちゃんとしており入園料さえ払えば、観覧を認めるというものでした。しかし1831年8月、動物学会理事会は紹介状の入り口での配布をやめてしまいます。良質の客だけを集めようとするこの施策は裏目にでます。低い階級の人々はあの手この手を使って動物園に集まり続けたからです。そのため、紹介状を入手する手間が制度改正によって大変増えたうえに、その制度改正の目的である入場客の選別はまったくなされていないではないかという声が新聞メディアによせられました。「これまで見た記憶さえない、低俗な階級と言ってもいい集団」が動物園にいる。これにたいして学会会員の一人は、新しい入場制度が「動物学会の利益のためだけでなく、最良のパトロンの利益のため、そして寛大な大半の支持者の利益のため、すなわち社会全体(the public at large)の利益のために役だっているのである」と主張しました。ここには、一般客の入場料によってあがなわれている以上、動物学会は公衆側の不満にこたえるべきだとする考え方と、学会の役割とは社会に利益にもたらすことであり、その方法の選択は会員の排他的権利であるとする考え方が対立しています。簡単に言えば、公共の利害と科学団体の利害の対立です。このような科学団体 vs. 公衆という語り方がここにおいて説得力を持つに至ったのは、動物園という多くの人間がそこに集まり、そこに参与することにおいて自らの権利を主張できると考えるような空間(しかもそれにより管轄の科学団体に寄与できると考えられるような空間)が出現することによってだと考えられます。