ラルフ・カドワースにおける知性を欠く形成力 Stanciu, "The Sleeping Musician"

Blood, Sweat and Tears -: The Changing Concepts of Physiology from Antiquity into Early Modern Europe (Intersections Interdisciplinary Studies in Early Modern Culture)

Blood, Sweat and Tears -: The Changing Concepts of Physiology from Antiquity into Early Modern Europe (Intersections Interdisciplinary Studies in Early Modern Culture)

  • Diana Stanciu, "The Sleeping Musician: Aristotle's Vegetative Soul and Ralph Cudworth's Plastic Nature," in Blood, Sweat and Tears - The Changing Concepts of Physiology from Antiquity into Early Modern Europe, ed. Manfred Horstmanshoff, Helen King and Claus Zittel (Leiden: Brill, 2012), 714–750.

 ラルフ・カドワース(1617–88)は、この世界に秩序をもたらす原理として形成力という概念を提唱しました。これはデカルト的な機械論に対抗するために構想されたものです。世界に見られる秩序を説明するには、物質の運動と衝突を想定するだけでは不十分である。神の道具として機能する形成力があると考えなければならないというわけです。カドワースはこの力を、自分が何をしているかは理解していないのに然るべき仕事をなしとげるものとして理解しました。ここでこの論文の著者は、このような形成力の特徴はカドワースの世界観と合致しておらず、この不整合は彼が古代の哲学諸学派を調停しようとした結果ではないかと論を進めます。しかしその議論は先行研究の成果を消化できておらず、そのため歴史研究としての価値の疑わしいものとなっています。すでにヒロ・ヒライの研究が明らかにしているように、ヤコブ・シェキウスは『種子の形成的能力』(1580)のなかで、形成力を知性を欠いた秩序形成原理として措定していました。ヒライはこの規定がカドワースに引き継がれたとはっきりと述べています(Hirai, Medical Humanism, 86–87)。これに加えてヒライの研究から分かるのは、理性を欠く秩序形成原理がアリストテレスの自然概念の説明として、すでに古代のアレクサンドロスやシンプリキオスによって提唱されていたことです(昨日の記事でもこのことは取り上げました)。これらのことを考慮せずにカドワースにおける知性を欠く形成力の意味を探っても、意味のある結論は出てこないでしょう。学ぶところもあるとはいえ全体の構想は残念な結果に終わってしまった論文です。