生理学ならぬphysiologia Nutton, "Physiologia from Galen to Bording"
- 作者: Manfred Horstmanshoff,Helen King,Claus Zittel
- 出版社/メーカー: Brill Academic Pub
- 発売日: 2012/06/01
- メディア: ハードカバー
- クリック: 40回
- この商品を含むブログ (20件) を見る
- Vivian Nutton, "Physiologia from Galen to Jacob Bording,"in Blood, Sweat and Tears: The Changing Concepts of Physiology from Antiquity into Early Modern Europe, ed. Manfred Horstmanshoff, Helen King and Claus Zittel (Leiden: Brill, 2012), 27–40.
ジャン・フェルネルを生理学(physiologia)という学問の創始者であるとする見方の訂正をもとめる論文です。古典期のギリシア語を見るとphysiologia系の単語は、単に自然探求を指すものとして用いられています。この単語がいつ医学の領域に入りこんだかはさだかではありません。しかしともかく擬ガレノスの著作では、physiologiaが人体を統御する力を探求するという、医学における基礎理論を扱う分野として含まれています。ガレノス本人はphysiologiaを医学と直結させることには懐疑的であったものの、紀元後5世紀終わりごろまでには、physiologiaを医学の一分野とみなす見解が広く共有されることになりました。しかしこの考え方はアラビア世界と盛期中世にははっきりとした形では継承されませんでした。そのため著作の表題にPhysiologiaと冠したフェルネルがあたかも新たな学問領域を創造したかのように見えるわけです。しかし実際にフェルネルが行ったのは医学の基礎的理論を論じるアヴィセンナの『医学典範』第1巻に相当する部分をギリシア語的な表現で呼ぼうとしてphysiologiaという名を付けたに過ぎません。この意味で彼は古代以来の医学におけるphysiologia観の継承者でした。現代の学者はフェルネルをphysiologiaの創始者として称える一方で、彼がそこに解剖学の所見をも含めていることに不満を述べています。生理学と解剖学は別だというのです。しかしフェルネル以降の著作を見るならば、physiologiaのなかに解剖学を含めることは広く行われていたことが分かります。この2つの領域が別れ生理学と解剖学となるのは、おそらく1850年代(ないしはそれよりさらに後)であると考えられます。