中世における迫害社会の出現 Moore, Formation of a Persecuting Society, #1

  • R. I Moore, The Formation of a Persecuting Society: Authority and Deviance in Western Europe 950–1250, 2nd ed. (Malden, MA: Blackwell, 2007), 1–25.

 1987年に初版が出されたムーア『迫害社会の形成』ははやくも中世史学の古典の一つとなっています。少しずつ読んでいくことにしましょう。13世紀に異端者が迫害されたのはなぜか?この問への単純な答えは、「異端者がたくさんいたから」となるでしょう。しかし本当にこの答えで満足していいのか?この疑念から本書は出発しています。

 最初の問いにどう答えるにせよ、まず確認せねばならないのは異端者の迫害は、西洋中世社会のある時点から行われるようになった行為であったということです。古代世界の終焉以後、異端者の処刑が最初に確認できるのは1022年のオルレアンでのことです。しかしこの時点での迫害は権力者間の抗争に起因するという性質が強く、民衆の信仰に教会が反応するというものではありませんでした。実際司祭たちは多くの場合、異端者の処罰のために世俗権力を呼び出すことを嫌っており、異端者への罰も比較的軽微なものでした。しかし使徒的生活を求め、そこから教会組織の腐敗を糾弾する人々の声が高まるようになると、教会の反応は変化します。大きな転換は1100年代の半ばにあったと考えられます。このころから教会は異端者の摘発にきわめて意欲的になり、また彼らを発見すると世俗権力の手に引き渡して火刑に処することを望むようになります。この1100年代の半ば―ちょうどカタリ派が勢力を伸ばしはじめる時期―以降、西洋社会は特定のグループにたいする暴力を制度化しはじめることになります。このグループの最たるものはもちろん異端者です。しかしそこにはユダヤ人、癩病患者、同性愛者といった人々も含まれるようになります。西洋に迫害社会が出現したのです。(続く)