科学者という「何にでも手を貸す小人の輩」 ブレヒト『ガリレイの生涯』
東池袋の劇場「あうるすぽっと」にて、ブレヒトの『ガリレイの生涯』を見てきました。この前に芝居を見に行ったのは、2008年11月30日なので実に約4年ぶりの観劇となったわけです。2時間50分に及ぶ長編です。
本劇のガリレオは何よりも理性を信じ、その理性が万人に分け与えられていることを確信しています。それがゆえに旧態依然とした世界観、それも支配者の統治の都合によって歪められた世界観を打破して、新しい理性にもとづく真の自然認識をもたらそうと奮闘します。
しかし同時に彼はおのれの自然探求を完遂するためなら手段を選ばない男でもあります。オランダで発明された望遠鏡の原理を聞きつけるやいなや、それを自作して、自らの発明としてヴェネツィア政府に売りつけ、俸給アップをとりつけます。研究の時間を確保するために、トスカーナ大公付きの数学者となるため、わずか9歳の大公にとことんへりくだってみせる。ペストが街を襲っても研究データのとりまとめはやめず、そのため街に残らざるをえなかった家政婦が病にたおれたとき、その家政婦の息子の少年(ガリレオの小さな研究助手でもある)に謝罪するでもなく、研究成果を語り続ける(このシーン異様に感動的です)。
1633年のガリレオ裁判は、このガリレオの後者の側面が明るみにでたものとして描かれます。ガリレオは真理に反する天動説を支持して生きのびることで、研究を継続し『新科学対話』という作品を書き上げる道を選んだということです。これにより人類の自然に関する知識はたしかに大きく前進しました。
しかし、と劇の終盤でガリレオは自問します。本当にこれでよかったのか。科学は知識を売る。知識は疑いから生まれる。こうして科学は万人を疑う人間にするように仕向ける。するとその疑いは民衆をして、自分たちを貧困の状態に置かしめている人為に気づかしめる。だから支配者たちは科学者を脅してくる。自分はここで支配者に屈して、科学研究上の成果を得ることを選択した。しかし支配者がつくりだした人為にとらわれたままの人類に、ほんとうに科学上の成果が適切に使えるのだろうか。科学が生みだす機械が支配者にのみ奉仕するとき、むしろ新たな災厄がもたらされるのではないか。天文学が市場の人々の口の端に上るまでになったあのときに、もし自分が権力に屈しなければ、そのとき自分は科学を万人のものにできたのではないだろうか。いまとなっては科学者に期待できるのは「発見の才はあっても、何にでも手を貸す小人の輩というところだよ」。「私は自分の職業を裏切ったのだ」(谷川訳、240ページ)。
もちろん歴史的なガリレオはこんなことは言わない。こんなふうに自らの行いを反省する人間ではおよそない。しかしそれでもこの自己断罪には創作としての力がありますし、ここに本劇の強いメッセージが込められています。
歴史学の観点からみると、なによりガリレオという人間がとてもよく描けていると感心させられます。人生を謳歌しようという貪欲さ、利己性、職人たちへの敬意、哲学者・聖職者への苛立ちという彼を特徴づける諸点がいきいきと描き出されています。細かいところでは望遠鏡のエピソードも、大筋としてはあれで歴史的に正しい。大公への就職活動も研究時間の熱望からきていたというのもその通りです。だからガリレオという人間を理解するためにこの劇を読むというのは、歴史研究者として大いにすすめられます。
(最後の自己断罪をのぞいて)一つだけ強い違和感をおぼえたのが、教皇ウルバヌス八世の描写です。劇中で彼はガリレオを罰したがらない人物として描かれています。しかし事情はまったく逆であり、彼こそがガリレオ断罪を強く主張したのでした。この旧知の人物の対応を見誤ったところにガリレオの誤算があったわけです。というわけで、ガリレオ裁判のところでは、この劇は根本的に歴史から離れたなと感じました(別に離れてもいいのですけど)。
細かい訳語では、谷川訳で「天国」と訳されていて意味がわからなかった箇所は、劇をみて「天界」を指しているということが理解できました。月下の世界と、それより上の世界というアリストテレスが立てた区別が、望遠鏡による観測により崩壊したという文脈で、「天国[天界]が廃止された」(52ページ)と言われているのですね。あと谷川訳で「あかり」(105ページ)と訳されていた箇所が、劇では「電球」と言われていた気がして、ガリレオの時代に電球はないだろう、と思いました。聞き間違いかも。
とにかく劇を見にいくのはいいですね。書物で読むだけでは気がついていなかったしかけに、じっさい演じられているのをみてはじめて気がつくという箇所がいくつもありました。
最後に「物理学者」という言葉が発せられるたびに身体に軽い緊張が走るのですけど、これは科学の歴史を学んだことからくる不幸のひとつかもしれない。
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