ガリレオに帰される「それでもそれ[地球]は動いている」という言葉がある。この言葉をガリレオは本当に口にしたのだろうか。この問題については重要な研究上の進展が2020年に報告されている。Mario Livioによる下記の記事である。ここではLivioの報告を簡単に紹介することにする。
「それでもそれは動いている」という言葉をガリレオが口にしたというのは、後世にできた作り話だろうというというのが、かつての共通見解だった。この話が最初に現れるのは、Giuseppe Baretti.という人物が1757年に出版した『The Italian Library』という書物においてである。ガリレオの死後100年以上経過している。
状況を変えたのは、ガリレオ研究者であるAntonio Favaroが1911年に受け取った手紙であった。手紙の差出人は、Jules Van Belleという人物である。Van Belleは自分が所蔵している1643年、ないしは1645年に作成された絵には、ガリレオが描かれており、そこに「それでもそれは動いている」という文言も書かれていると報告した。この絵の作成年はガリレオの死(1642年)にきわめて近い。だとすると、この言葉はガリレオの死の直後から彼に帰されていたことになり、信憑性が高いのではないか。こう多くの研究者が考えるようになった。たとえば邦訳もあるS・ドレイクのガリレオ伝では、Van Belle所蔵の絵を根拠に、ガリレオが「この有名なせりふを発したと信じるにたる確かな根拠がある」(『ガリレオの生涯』田中一郎訳、第3巻、共立出版、1985年、452ページ)とされている。
Livioの調査はここからはじまる。彼が気がついたのは、これほど重要な証拠であるにもかかわらず、Van Belle所蔵の絵を科学史家や美術史家が見たという報告は1912年以降なされていない。そもそもこの絵がどこにあるのかももはや分からないということである。
まずLivioはVan Belleが問題の絵を1933年にベルギーのMuseum Vleeshuisに貸したことをつきとめる。さらに、その絵とほとんど同じ絵がやはりベルギーのStedelijk Museum Sint-Niklaasに所蔵されているということを発見する。この後者の絵は1837年にRomaan-Eugeen Van Maldeghemという画家が作成したものであると記録されている。実際、Van Maldeghemが「牢獄の中のガリレオ」という絵を描いたという報告が、1842年と1859年になされている。この報告の時期にVan Maldeghemはまだ存命であった。だとすると、Van Maldeghemの1837年の絵がオリジナルであり、Van Belle所蔵の絵はそのコピーである可能性が高まる。さらにいうと、ガリレオと異端審問所の衝突が画家たちのあいだで人気のあるモチーフになったのは、19世紀に入ってからであった。
Livioは最終的に2007年にVan Belleの子孫が問題の絵を競売にかけていたことをつきとめる。オークションハウスはその絵の写真をとっていた。その写真は、複製として残されているVan Belleの絵と同一である(記事冒頭にある写真が、オークションハウスによる写真である)。この絵を競売で入手したのは、個人の収集家である(誰かは教えてもらない)。
Livioの調査結果を整理するとこうなる。ガリレオが「それでもそれは動いている」と言ったということの証拠となってきた絵とほぼ同じ絵がある。この絵は1837年にVan Maldeghemが作成したとされており、実際に彼の存命中に彼が「牢獄の中のガリレオ」という絵を描いたという報告がある。一方、Van Belle所蔵の絵は2007年に競売にかけられ、現在は個人が所蔵している。
調査を完全なものとするためには、現在個人が持っているであろうVan Belle所蔵の絵が調査され、その作成年代が特定されなければならない。しかし現段階の調査からは、Van Belle所蔵の絵は、1837年にVan Maldeghemが作成した絵のコピーである可能性が高いと言える。このため、ガリレオが「それでも地球はうごいている」という言葉を発したという逸話の初出は1757以前には遡ることができない。そのため回答は最初に戻る。ガリレオがこの言葉を発したというのはおそらく後世の創作である。