ペトルス・アウレオリのかりそめの服従 Duba, "Souls after Vienne" #3

Psychology and the Other Disciplines: A Case of Cross-disciplinary Interaction (1250-1750) (History of Science and Medicine Library: Medieval and Early Modern Science, 19)

Psychology and the Other Disciplines: A Case of Cross-disciplinary Interaction (1250-1750) (History of Science and Medicine Library: Medieval and Early Modern Science, 19)

  • William Duba, "The Souls after Vienne: Franciscan Theologians' Views on the Plurality of Forms and the Plurality of Souls, ca. 1315-1330," in Psychology and Other Disciplines: A Case of Cross-Disciplinary Interaction (1250-1750), ed. Paul J.J.M. Bakker, Sander W. de Boer, and Cees Leijenhorst (Leiden: Brill, 2012), 171-272.

 続いてペトルス・アウレオリ(Peter Auriol)の議論が検討される(196-205ページ)。彼の議論は公会議での決定の公布前と公布後で変化している。公布前の1312年にボローニャフランシスコ会学院で教えたときに著した著作(未完)で彼は、理性的霊魂をその他の霊魂から鋭く区別していた。理性的霊魂は直接的には身体の形相ではない。身体の形相は感覚的霊魂である。この感覚的霊魂の形相因が理性的霊魂である。1317年11月1日に公会議の決定が布告された。布告は理性的霊魂は身体の直接的形相であると断定し、理性的霊魂が感覚霊魂を通じて身体の形相となっているという学説を否定していた。否定された学説にアウレオリの説は該当しており、彼もそれに気がついた。そこで彼は説を変化させる。理性的霊魂は身体の直接の形相であり、この点で他の霊魂と異なることはないと公会議で決定された以上、それを真とみなさねばならぬと論じはじめたのである。だが本当のところ彼は自説を変えていなかった。彼は引き続き、非物質的な理性的霊魂が物質的身体の形相であると哲学的には認められないと論じた。彼が理性的霊魂と身体とのあいだに認めたつながりは、理解という活動を通じたもののみであった。理解は理性的霊魂が行い、それは感覚から来る情報なしでは達成されないのだから、理性的霊魂と身体とのあいだにはつながりがあるというのである。このような弱いつながりしか認めないアウレオリは、理性的霊魂が身体の形相であるという説を疑問視し続けたのであった。理性的霊魂をめぐる彼の見解の変化は、純粋に公会議の権威に服するためのものであった。