となりの異端と新科学 Lüthy, "Confessionalization of Physics"

Heterodoxy in Early Modern Science And Religion

Heterodoxy in Early Modern Science And Religion

  • Christoph Lüthy, "The Confessionalization of Physics: Heresies, Facts and the Travails of the Republic of Letters," in Heterodoxy in Early Modern Science and Religion, ed. John Brooke and Ian Maclean (Oxford: Oxford University Press, 2005), 81-114.

 文芸共和国といえば、国境や宗派を越えて知識人たちがつくりだした連帯からなる共同体を想起させる。しかしこの共和国の現実に目を向けてみると、そこに鋭い亀裂が走っていたことがわかる。対立の根深さをうかがわせるのは、文芸共和国の書記とまで言われ、その輪の中心にいたマラン・メルセンヌの事例だ。メルセンヌがその初期の著作で目指していたのは、対抗宗教改革の目標そのものであった。プロテスタントや異端と認定されたカトリック教徒を論駁しようとしたのである。そのための武器のひとつとして、自然に関する知識も機能していた。

 メルセンヌの姿勢をよく示す姿勢として、カルヴァン主義者でフランエーケル大学のヘブライ語学教授であったシクスティヌス・アママとの論争がある。アママはヴルガタ聖書(カトリックが長きにわたって用いてきたラテン語訳)は神の息吹をうけて生みだされたものではなく、誤訳を含んでいると論じた。この主張をメルセンヌカトリックの立場から異端と断じた。これに対してアママは答える。自分を異端者と侮辱するのをやめて、ヘブライ語テキストとラテン語訳の対応について話そうではないか。このような呼びかけは合理的に見える。まず事実からはじめようというのだ。しかしメルセンヌは応じない。一見単なる事実を述べた言明に、宗教的動機が忍び込まされていることがままあることを知っているからである。文献学はアママの罠である。そこから彼はカトリックが用いてきた聖書の権威を否定しようとしている。

 アママはまた結局のところ、私にとってはあなたが異端で、あなたにとって私は異端なのだから、この点を言い争っても仕方ないと述べている。だがこれもメルセンヌにしてみれば、正統と異端を相対化してみせる少数の異端者たちに典型的な戦略であり、受けいれられない。最後にアママは、自分は異端者ではない。なぜなら頑迷固陋ではないからだ、と言っている。これはカトリックに歩み寄ろうということではなく、むしろメルセンヌカトリック(アママにとっては異端)であるのは見てみぬふりをあえてしようという提案であった。メルセンヌはこれをもちろん拒絶する。しかし後年の彼はまさにこの見てみぬふりを信条とするようになるのである。なぜか。

 メルセンヌとアママの論争は宗派間の対立に支配されていた初期近代のヨーロッパの一局面であった。カトリックプロテスタント諸派が入り乱れる論争は、アリストテレス哲学の基盤のうえで行われていた。アリストテレス哲学の術語が、対立の焦点であった聖餐式や摂理について自説を理論化し、反対説を論駁するのには不可欠であったからである。論争の過程で明らかになってきたのは、宗教上の主張の基礎には形而上学的な前提があり、この前提が同時に自然に関する理解も規定するという構造である。敵対陣営の自然理解をメルセンヌが攻撃したのもこのためであった。

 これは別の角度からみると、形而上学や自然学こそが対立の温床となっているということであった。そこに入ると問題が教義に直結し、宗派対立が表面化してしまう。このことを悟ったメルセンヌは方針を転換した。宗教対立が文芸共和国を壊してはならない。そこで形而上学や伝統的自然学を迂回して自然を探求する手段としての新科学が彼の営みの核となる。確実な数学と、実験から得られる事実に基づいてのみ、宗教対立を呼びこまずに自然を語ることができ、ここにおいてのみ宗派を越えた知識人の連帯は対立するというのだ。同じ考えは、フィレンツェ、ロンドン、パリのアカデミーでも共有されることになる。数学と実験は、頑迷固陋さをすてて、見てみぬふりをするための道具として機能したのである。

 こうして宗教対立に支配され、哲学が教義論争の基盤となったまさにその場所で、真の文芸共和国を達成するための自然探求の営みが現れた。この営みは近代科学と呼ばれることになる。