15世紀の哲学 ド・リベラ『中世哲学史』第10章

中世哲学史

中世哲学史

 15世紀を扱う10章は、本書の本体部分の最終章となっている。「混迷と抗争の時代」(576ページ)であった15世紀は、思想のうえでも多様性をしめした。人文主義が出現し、中央ヨーロッパに哲学が浸透した。旧い道と新しい道との対立が起こり、アルベルトゥス主義、トマス主義、ビュリダン主義が現れることでスコラ哲学の伝統は強化された。同時にこの時代は教会政治は混乱をきわめ、そのなかで宗教会議が大きな役割をはたした。会議には多くの神学者が関わっていたのであり、その重要性は哲学史のうちでも逸することはできない。諸教会の統一運動が進んだ反面、激しい弾圧も行われた。ウィクリフは断罪され、フスは火刑に処された。この時代には政治と芸術の場で女性が台頭した。哲学ではクリスティーヌ・ド・ピザン(1364-1430年ごろ)が数多くの著作を著し、そのなかで哲学的生を賞賛した。

 15世紀の大学の特徴は、そこが政治闘争の場となっていたことである。そこでは諸観念をめぐる争いは諸観念の解釈によって争われるというよりも、むしろ敵対する人々を異端の温床として告発し、それを政治権力の力をかりて放逐するということが行われた。たとえば以前よりあった唯名論実在論の対立は行政が関与する問題となり、フランス国王の勅命を受けた国王代理人唯名論者の教説を私的にも公的にも教えることを禁止した(だがこの代理人が選挙で敗れると、この禁令は解かれた)。

 この時代に起きた興味深い思想的立場にアルベルトゥス主義がある。ジャン・ド・メゾヌーヴが開始した新アルベルトゥス主義は、ルーヴァン、ケルンに広まったのちに、クラカウ、ハイデルベルクインゴルシュタット、チュービンゲン、ベーゼル、プラハコペンハーゲン、ウプサラへと拡散していった。