倒錯製造装置としての近代 フーコー『知への意志』#3

知への意志 (性の歴史)

知への意志 (性の歴史)

 性について多くが語られるようになるなかで、性的実践を規制する法規は変化した。どのような法規であれ、18世紀の末までは性的実践をめぐる掟は結婚生活を中心としたものであった。なによりも規制の対象となったのは夫婦の性であった。この中心の外側への認知は漠然としていた。またなんらかの形態の生殖行為が問題となるときも、それは法に反するということで禁止された。

 18世紀末から状況は変化する。まず異性愛の一夫一妻制度が基本にあることはゆるがなかったものの、夫婦の関係が細かく規定されることはなくなる。反面起こったのが、これまで漠然と性的放縦とカテゴライズされていた領域の細分化である。細分化を行うのは医学だ。医学者はさまざまな性的倒錯の類型をつくりだす。それを裏づける病理学を発明する。

 このような変化のうちで行使される権力の機能は次のようなものである。まず権力はさまざまな性的倒錯の類型を拠点として、家族やその他のさまざまな空間に入りこむ。このため家庭や学校や精神病院は、性的な欲望に満たされた場所として認識される。このように多様な拠点から自らを拡張していくためには、性にまつわることがらへの強く、執拗な好奇心を必要とする。この意味で性をめぐる権力の行使は快楽をともなうものであった。最後にこの行使によってみいだされる倒錯者は、もはや違法行為を行った法律的主体ではなく、性的倒錯を行うような本性を有する一個の人間としてとらえられる。倒錯が個人の内部へと組みこまれるのである(そして医学上の観察の対象となる)。

 このような権力の作用こそが、倒錯者のカテゴリーの細分化を引き起こした。細分化は、労働力産出にとって望ましい性的あり方から逸脱したものとして浮上してきたのではないのだ。多様な倒錯は、権力による身体と身体から生まれる快楽への干渉の相関物である。このようなかたちでの権力の拡大は、労働力確保などの経済的利益に裏打ちされており、また医学、精神病理学、売春、ポルノグラフィーに快楽の細分化の機能を負わせているのである。この意味で権力と快楽とは連鎖を形成している。こうして法とは異なる装置によって、性的快楽について語らせ、快楽を細分化させるようになった社会、これが19世紀のブルジョワ社会であり、そこに私たちも住んでいる。