改革を刷り上げること 加藤「ルターの宗教改革」

 宗教改革といえば何が思い浮かぶだろうか。いろいろな可能性があるだろうが、その一つにマルティン・ルターローマ・カトリックの教えに反旗を翻したという事実は間違いなく含まれるはずだ。長きにわたって西洋で維持され、そのため硬直もしていた教義に、ルターが新たな教えをもって立ち上がった。その核心はなんだったのか?たとえば信仰義認とはなにか?こう話を進めると、いきおい議論は精緻に編み上げられた神学教義同士の対抗に集中する。

 しかし対抗は別様にも語れるはずだ。ルターは新たな教えを抱いていただけではない。新たなメディアと手をたずさえていた。印刷機である。ルターと印刷機の関係に着目することで、改革の別の側面が見えてくる。そう、宗教改革とは膨大な紙の束を吐き出しほかならなかった。

 加藤はルターがいかに新たなメディアを使いこなしていたかを指摘する。短いパンフレットに、メッセージを簡潔にしるし、俗語で発信する。仕事の質の高い出版業者に、ヴィッテンベルクに支店を出させる。著名な画家に木版画を作成させる。18年から19年に出した「45の著作は、291もの版を重ねるのだ」(20ページ)。じつに「ヴィッテンベルクでビールを飲んでいる間に、みことばが人々のあいだで働いた」(27ページ)と彼に言わしめるほど、メッセージは人口に膾炙した。

 だが吐き出されたとほうもない紙の束は、彼がビールを飲む間に、制御不可能な仕方で働きはじめていた。それは人々を扇動した。暴力をもって改革をなしとげようという機運が高まった。これをおさえこまねばならない。ルターはどこに手をつけるべきか熟知していた。印刷機だ。手はじめに論敵の出版物の禁止を実現する。やつに紙の束を吐き出せるわけにはいかない。そして新たなメッセージを発信する。暴力的な蜂起に加担する者は、「誰でも刺し殺し、打ち殺し、絞め殺しなさい」(34ページ)。

 この残酷なメッセージは、敵対者たちを歓喜させた。ついに反逆者が残虐な本性をあらわした。ここでカトリックはなにをしたか。やはり印刷機に手をのばした。ルターのメッセージをあえて印刷し、その酷薄さを喧伝するのだ。

 古代人は明敏にも、神のひとりに「噂」を数えた。じつに宗教改革は噂を味方につけようとする抗争であった。だが神を人間が制御できるはずもない。つねに「噂は諸邦の民をいくとおりもの話でみたした」(『アエネーイス』4歌189行)。こうして、ルターについてもいくとおりもの話が生みだされた。その顛末を、加藤の論考は描きだしている。