聖書は何に適応しているのか Schlebusch, "Die begrip accommodatio by Wittich"

  • J. A. Schlebusch, "Die begrip accommodatio by Christoph Wittich (1625−1687) en sy Cartesiaans-rasionalistiese omgang met die Bybelse teks," LitNet Akademies Jaargang 18 (2021): 240–258.

 ウィティキウスの「適応」(accommodatio)理論を扱った論文を読む。適応理論の歴史は古い。それはアウグスティヌス以来存在している。しかし、その伝統の単純な延長線上にウィティキウスの理論を位置づけることはできないと著者は指摘する。

 伝統的に適応理論は、神がその神秘を伝えるにあたり、有限で卑小な人間の理解力に適応した語り方を聖書で行ったとしてきた。対して、ウィティキウスが適応について語るときには、そのような人間の理解力にある一般的な弱さへの適応を問題にしているのではない。そうではなく、聖書が書かれた時に想定されていた読み手の側にある認識の不足(ウィティキウスの表現では「偏見 praejudicia」)に、聖書の語り方は適応しているという。それだけでなく、ウィティキウスは聖書の記述は、書き手の偏見も反映しているという。この点でウィティキウスの考えは、聖霊が聖書の書き手すべてを導き、その書かれたのことのすべてを聖霊からの教えとして受け取らなければならないという考えからは離れている。

 以上から分かる通り、伝統的な適応理論が人間の認識能力の一般的な不足への適応について語っていたのに対して、ウィティキウスは特定の時代の大衆や、その大衆に宛てて聖書を書いた書き手の偏見への適応を語っている。