ユダヤ人再入国問題と自然法 Lee, "The Readmission of the Jews"

 本論文は、1650年代なかばに問題となったユダヤ人再入国問題に対して、Thomas Barlowが提出した主張を、自然法の問題との関係から理解しようとするものである。史料としては、Barlowの死後1692年に出された論考が用いられる(この論考は、1656年以降に執筆されたと推測される)。

 中世に追放されたユダヤ人の再入国を認めるかどうかという問題は、1655年から争点となる。しかし、世俗的な権力が宗教上の問題にどこまで介入できるかということは、すでに1640年代から争点となっていた。一方では、正しい宗教上の教えというのは、人間の心に生まれもって刻み込まれているものなのだから、間違った宗教上の教えとは自然法に反するものであり、それゆえ世俗的な権力が禁じることができるという立場があった(Henry Ireton)。他方では、人間の心に生まれもって刻まれている宗教上の事柄は神が存在するということに限られるとし、それ以外の点につき世俗権力の介入を認めることは、世俗権力の恣意的な介入を招き、良心の自由を抑圧することになるという立場があった。

 この対立の構図の中で、ユダヤ人の再入国問題も議論されることになる。再入国に反対するWilliam Prynneは、ユダヤ人たちは高利貸しという冒涜的な行為を行っているため、世俗権力は彼らを追放する義務を負うとした。ここでPrynneは、明言こそしていないものの、高利貸しは自然法に反する行為であり、それゆえ世俗的な権力の取り締まりの対象となるという議論を展開している。

 これに対して、Thomas CollierやJohn Duryはユダヤ人の再入国を認めるべきだと主張した。彼らは、世俗権力は宗教上の学説の違いを根拠にある集団を追放することはできないと主張した。しかし彼らは同時に、ユダヤ人たちが高利貸しを行ったり、神を冒涜する行為を行ったりする可能性がある点で「罪深い」集団であると認めていた。彼らはこのような行為はユダヤ人の入国を認めた上で法で取り締まるべきだと主張したものの、そもそもユダヤ人が「罪深い」集団であると認めてしまえば、だからこそ世俗権力は最初からユダヤ人を追放しておくべきだという主張に根拠を与えかねなかった。

 Thomas Barlowは、ユダヤ人の再入国問題を自然法の問題と結びつけながら次のように論じた。まず彼は教会の霊的な権力と、世俗の権力を分ける。その上で、教会な霊的な権力はキリスト教共同体にしか及ばないため、キリスト教徒ではないユダヤ人の処遇は、世俗権力が自由に決定できる。続いて、Barlowはユダヤ人の行う高利貸しや一夫多妻制や姉妹との結婚は自然法に反しているという主張に反論する。自然法は不変であるため、旧約聖書のなかで一度でも認められていることは自然法に反しないと考えるべきである。そうすると金貸しも一夫多妻制も姉妹との結婚も旧約聖書で認められているため、自然法に反するとは言えない。よって自然法違反を根拠に、ユダヤ人を追放する義務を世俗権力に課すことはできない。このように自然法旧約聖書の関係を理解することは、多くの知識人が認めていることだとBarlowはいう。また、Barlowはこの理解の点で自分がGrotiusに多くを負っていることを、1650年代に著した草稿のなかで明らかにしている。以上の議論からBarlowは、ユダヤ人の再入国は世俗の権力が自由に決定できる問題であると結論づけた。

 Barlowの議論は、ユダヤ人再入国問題を当時の政治的、法的な枠組みのなかで理解する必要があることを教えている。

 この論考で押さえておくべきは、William Prynneは自然法という用語は用いていないということである。ではなぜPrynneが実質的にユダヤ人の自然法違反を論じていると言えるのか。根拠は次のようなものである。

Blasphemy, whatever it might entail, had been regarded as clear violation of natural law at least since Ireton expressed his view of the civil magistrate’s power in the late 1640s. Prynne also revived the old stigma of usury in the English perception of the Jews in A Short Demurrer and its sequel, The Second Part of A Short Demurrer (1656), which reinforced the notion that the Jews were inclined to breach natural law. Usury was another sin that many Christians believed to be fundamentally immoral and against natural law for centuries. (p. 583)

 第一に、Blasphemyが自然法の違反となるということは、Thomas Iretonが1640年代に世俗権力についての見解を明らかにして以来認められていたという。第二に、高利貸しが自然法に反する罪だということは広く認められており、Prynneが高利貸しの罪をユダヤ人に帰していたから、というものである。以上2点を根拠に、Prynneが自然法という用語を用いていなくても、実質的に自然法違反を論じていたと言えるかどうかが問題となるだろう。

 もう一つこの論考で気になるのは、Thomas BarlowとGrotiusの関係である。この点で重要なのは次の文である。

Yet these particular views of natural law and the Old Testament were most powerfully and influentially presented in Grotius’ De Jure Belli ac Pacis (1625), and Barlow acknowledged his intellectual debt to Grotius regarding these ideas more explicitly in his manuscripts composed in the early 1650s. (p. 591)

 自然法旧約聖書の関係に関する理解の点でBarlowはGrotiusに多くを負っており、この点についてBarlowは1650年代前半の草稿のなかで明らかにしているとある。Grotiusへの依拠はBarlowの立論の再構成にあたって本稿が特に強調している点であるため、この草稿でBarlowがGrotiusへの依拠を明らかにした箇所は、立論の重要な典拠として引用されるのが望ましい。それがすぐにはアクセスできない草稿でなされているのだからなおさらである。