…という枕詞を置いて、スタティウスの「眠り」という小品の翻訳を載せます。
スタティウスというのはナポリ出身の詩人で、50年ごろから96年ごろまで生きたといわれています。
作品には『テーバイス』『アキレウス』『シルウァエ』があります。今回訳した「眠り」という作品は、最後の『シルウァエ』の第5巻に入っている詩です。
『シルウァエ』はラテン語ではsilvaeと書くのですが、これはsilvaという単語の複数形です。そこで、silavaという単語ですが、これは「森」という意味がメインなのですが、そのほかに「木材」という意味があり、そこから「ものの素材」という意味にもなります(木材は素材ですしね)。
これを読んで、「ああ、ギリシア語のヒュレーと同じだな」と思ったら、あなたも末期症状ですね♪
それはともかくこの『シルウァエ』という作品には、様々なことをテーマにした小さ目の詩がたくさん入っています。
今回訳した「眠り」はその5巻に入っていて、どうやら『シルウァエ』の中で一番有名な作品のようです。
話としては、眠れない人が「眠り」(神格化されています)に、眠らせてくれと嘆願するたわいもないものです。
「眠り」といえば(これはもう文化的には何の関係もないですが)村上春樹の『TVピープル』という短編集にも「眠り」という短編が収録されています。これも眠れなくなった人の話だったと記憶しています。
前置きばかり長くなりましたが、以下が翻訳です。基本的に直訳しています。テキストは
Silvae (Loeb Classical Library)
- 作者: Statius,D. R. Shackleton Bailey
- 出版社/メーカー: Harvard University Press
- 発売日: 2003/05/15
- メディア: ハードカバー
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「眠り」
どんな罪を私が犯したというのでしょうか、若くて大そう優しい神よ。どんな過ちのせいで、私は一人みじめにもあなたからの贈り物を手にできないでいるのでしょう、眠りよ。
家畜も鳥も野の獣もみな黙り、曲がった峰は疲れて眠りについたかのようです。激しく流れる川にも同じように音はありません。
平地の恐怖は死に絶え、海は陸に寄りかかって静まっています。
月の神フォエベーはすでに7度戻ってきて、私の病んだ目を見ています。
それと同じだけオエタ山とキュプロス島の光は再びやって来ています。また、同じ数だけ暁の女神アウロラが私の悲嘆の横を通り過ぎ、哀れに思い、氷のように冷たい鞭でその悲嘆を散らしていっています。
どうやってこれに耐えたらよいのでしょう?
呪いをかけられたアルゴスは千の目を持っていて、見張りにあたっているのはそのうちの一部だけでした。だから決して全身が起きているということはありませんでした。だが私にはそんな千の目はないのです。
だけど今、ああ、もし長い夜に誰かが少女の腕に手をまわし抱きしめ、自らあなたを、眠りよ、追い払うものがあるならば、そこから来てください。
私はあなたがすべての羽を私の目に注いでくれるように求めているのではありません。そのようなことはもっと幸せな人が祈ればいいのです。
杖の一番先で私に触れてください。それで十分です。あるいはひざを上げて軽く私を通り過ぎてください。