Aristoteles LatinusのCodicesの巻で、ヤコブの『霊魂論』訳について次のような記述がありました。
この〔ヤコブの〕翻訳は11世紀の半ばより少し後にはすでに完成していたのかもしれない。というのも、この『霊魂論』訳が含まれている一番古い写本であるAustriacus Florianensis XI, 649は、1175年ごろに書かれたものであるように思われるからである。
さらにイングランドのアルフレッドが彼の『心臓の運動について』(13世紀)という論考で触れている『霊魂論』というのは、この翻訳のことをおそらく指しているのだろう。
1939年に書かれたものなのでこの見解が現在まで維持されている保証はまったくないのですが。
あとミカエル・スコトゥスについて
Charles H. Haskins, Studies in the History of Mediaeval Science (Cambridge, 1924), 272-298
を見てきました。
アルベルトゥス・マグヌスがスコトゥスについて「彼は自然を真理において知ってはいなかったし、アリストレスの書物のこともろくに知らなかった」と言っているそうで。スコトゥス訳も使っておいてその言い方はないですよね(激怒)。
ところでThe Cambridge History of Later Medieval Philosophyなどを見ていると、知性論のところで、グンディッサリヌス、ヨハネス・ブリュンド、John of La Rohcelle、ロジャー・ベーコンなどについて、しきりに「アヴィケンナ的な」とかいう記述が出てきます。
人間の魂が持っているのは可能知性だけで、能動知性は人間の魂からは分離しているという説に対して、「アヴィケンナ的な」という形容詞がつけられているようです(間違っているかも…)。
よくわかんないのですけど、スペインにいたグンディッサリヌスはともかくとして、他の人たちはどうやってこの「アヴィケンナ的」な意見を吸収したのでしょう。
それこそトレドで訳された魂についてのアヴィケンナ本をみんな手元においていたのでしょうか。。。でもここには、アクィナスはおそらくアヴィケンナに直接は依拠していないと書かれています。うーん。やっぱり何かしら専門書を見ないと分からないのですね。。。